教える側からの質問

 面倒なのであまり考えないで書きます。哲学的(not 人生観。ものの考え方を学ぶ学問的)な問題に触れそうだし。
 各自触れてください。←投げやり
 教える側からの質問というのはあって。それにより教えられる側が余計わからなくなっている or 固まっている場面というのは、意外と存在する。教える側が本当の意味でプロでないほど(塾教師、家庭教師、親兄弟、その他素人など)、その種のナンセンスというか矛盾、マッチポンプな質問は頻発。
 その最たる例。
 投げやりに言い放つ。「何がわからない」「どこがわからない」
 そりゃ教えられる側としてはわからない部分がわかっていたら、それを自分でもしくは教える側に求めて→解を導き出してるって。
 また、この種の教える側からの質問というのは、目上の人へはできないでしょう。相手を思いっきり下に見ているのも窺えるのだ。部長以上のクラスにやってみろ(笑)。それ以前に、いい大人がいい大人にやってる時点で、かなりの馬鹿だけどね。
 何が書きたかったのかというと、上記の見ていてやりきれないような場面に出くわすと、自分はああいう馬鹿な大人にならなくて良かったとつくづく思う。反面教師の良い例。


P.S.
 算数とか数学が嫌いになる子が多いのは、ここらへんにも少し原因があるような気がする。皆さん大なり小なり、経験あるでしょう。
P.S.2
 教えられる側に問題がある場合も、あることはある。:D

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