腕時計からかなり展開

g. 生活と文化

 腕時計を買ったのは何年ぶりだろう。最近、ダイブコンピュータを買っていて、それに時計表示はもちろんあるけれど、腕時計としては使わないので除く。
 いい年になってから逆に、腕時計をする習慣をほとんど無くしていて。時刻は携帯、PCに表示されているし、車 / もたさいくるで移動中も無論、時計がついているから不便を感じない。腕時計はいいものをしろと誰かが言っていたような気がするが、それ以前に必要性を感じないのだから仕方がない。必要性を感じるのは、携帯を持ち歩かない海外旅行のときぐらい。
 安い&古いタグ・ホイヤーを何回か電池交換して使っていたが(*1)、そろそろ電池切れの時期。かわいそうだが電池交換する気はもう起きなく、壊れてもいい / 紛失してもいい時計を買っておこ→基本に戻ってG-SHOCK、が、さすがに針が載ったものとなった。


GW-1500BJ
 サイトにあるのはとりあえず全部見て、それから決めた。服その他含め黒ばっかり選ぶ傾向にあるので、文字盤の藍がちょうどいい。ワールドタイム、ソーラー発電、電波時計(*2)などをしっかり搭載。
 以下は候補に挙がっていたもの。

G-702BD
 プロダクトデザイン的にやられた(モータースポーツ→コクピットを意識しているらしい)。しかし、腕時計をする習慣が無いゆえの、ステンレス製バンドの冷やりとした感覚が駄目かなぁと。前出モデルのテクノロジーになびいたというのもある。
 ところでこのモデル、逆輸入品になるようです(値段的には前出のモデルより安く手に入る)。

ASP9411
 ASP(カシオとは全く関係ない。セキュリティ関連で展開しているUSのメーカー。公的機関にも納品している)のタクティカル・ウォッチ。シンプルでいい面構え。オタ心もつつかれるし、最初はこれにしようかと考えていた。けれども、個人輸入になって→2万を超えてくるのでG-SHOCKに傾いた…。
 どうでもいいけど、ASPの26 inch バトン(警棒)は持っています。:D 収縮時の写真
 腕力あればこの長さのほうが一般的な国産より扱いやすいし、思いっきりぶっ叩いても曲がりませんよ。ぶっ叩いたほうがたまげるなんてことは無いと思います。


(*1)
 open air party時に使っていた前G-SHOCKは、かなーり前に止まっている。こ汚いし(ナイロン製バンドゆえ特に)、電池交換する必要性も感じなかったわけで。この先、使うことはないだろうから廃棄となった。
 open air partyを懐かしいという視点で見ていることに、改めて気づいたり。自分の内側を見てみると、社会人的に、貴重な休日と労力と時間を費やすのに値する行為なのか疑問のようです。山に入るんだったら素直に山に入る。白砂の浜に立つんだったら素直に白砂の浜に立つ。海にダイブするんだったら素直に海にダイブする。そこにpartyは要らないし、必要性も感じない。現在では、割り込まれると逆にかなりうざいかも。
 さらにエコだのLoveだのを持ち込まれると、どうかしてるんじゃないかとさえ思う。意識するきっかけにはなるかもしれないが、環境 / 生態学や愛をまともに捉えればどう考えたってとても矛盾しているでしょう。繰り返すが、エコ / Love / Peace等の標語&運動において、集団によるあの行為は矛盾しているどころではなく「とても」矛盾している。正直、気持ち悪い or 胡散臭い。後ろめたさがあるゆえに、ああやって意味を無理に持たせようとするのだろうか。高めようとするのだろうか。partyはそれ以上でもそれ以下でもないのに。
 もうよっぽど気が向かない限り、open air partyに行くことはないでしょう。と書きつつ、箱ものさえ疎遠になってていかんなー。と書きつつ(2回目)、いかんなーとは思っていないけど。それで飯食ってるわけでもなし、遊びだもんねぇ。
 それと自分の考えをたらたら書いただけで(当たり前だがここは自サイトだ)、誰かと不毛な議論をする気はさらさらないので。うざいのは削除、念のため。つーか腕時計の電池交換をしなかっただけでここまで膨らませられるのは、俺ぐらいだろう。:D
(*2)
 定時になると自動的に電波を受信し→標準時を刻む。狂人のごとくしゃべりだしたら、それはそれでおもしろそうだが。うそ。そんな腕時計、うるさくて耐えられません。

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