人に話せるということ

 本当に辛いことは、時間が経てば都合よく忘れたり忘れられたりしない。楽しいことや嬉しいこと、美しいことで、なんとかやっと、どうにかして覆い隠していくもの。
「旦那は子供に青い服を着せるのを嫌がる、理由は発見した幼い遺体が青い服を着ていたから」
 という東北の震災時、捜索にあたった自衛官を夫に持つ同僚が、某職場でいた。その人も
「忘れられないでしょ。たくさんの楽しいこととかで埋め合わせていくものでしょ」
 と言っていたのを思い出す。
 いい大人でも「話せば楽になる」という思い込みがあるのか、普通に質問してしまう人は多いが。そういう場合、当人たち(答える側)は冷静だったりぞんざいな態度を取る。単純に、本当に嫌な出来事からなるべく距離を置きたく、思い返したくもないから。相当めんどくさがられてるので、気をつけよう。
 好奇心から聞くバカは論外な。まずはお前が死ねとしか。
 当人たちは誰なら普通に話せるんだろう。たぶん、同じような経験をした人とわかった時だけ(それでさえ嫌なケースも無論あるだろうけど)。そうでない場合(ほぼ誰にでも話せる場合)は、乗り越えて話せる段階になったってことです。そもそも本当に辛い経験ではなかった可能性もあるけど。

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