’11年3月11日18時頃、そして

b. 社会科学


 写真は’11年3月11日18時頃、青山通り、外苑前付近にて。
 この日はたまたま打ち合わせのため、青山一丁目のクライアントへ伺っていた。半蔵門線の改札を出ようとしたまさにその瞬間、揺れは起こった。地下でも揺れと音はあまりにも大きく、地上やビルはそれ以上に激しく揺れたのが簡単に想像できた。地下構内は一部、照明が消え非常用照明が点灯していたりした。しばらくその場で待機した後、クライアントのビルへ。
 余震の中、決めることだけはしっかり決め、約2時間後にビルから出た。青山通りにはすでに歩いている人がかなり多い。改札に行かずとも、電車が止まっているためと簡単に予想できた。近くのタリーズで携帯を使いなるべく情報収集。携帯は通話できないが、ネットには繋がれた。
 状況は悪化に向かっている一方とわかり、職場に無理に戻るよりは、世田谷の自宅に帰ったほうがずっと良いと判断。写真はその途中で撮った写真。歩道には人、車道には渋滞した車があふれていた。
 疲れてだらだら帰ることにしたのか、飲食店では飲んでしまっている人も結構いて、逞しいなと少し思う。ひとまず渋谷まで歩き、寒さもあって渋谷区文化総合センター大和田の喫茶店で休憩。奥まっているせいか、混んではいなかった。
 その後、再び歩き自宅にたどり着いた。
 資本主義も宗教のようなもので、無理があっても推し進められ、止めることができない。盛大な浪費をしないと社会は動かないという幻想。今回の震災で、それらの歪みが一気に表に出た感がある。
 原発を無くすためにはただ反対するだけでなく、それに代わるエネルギーを大多数が真剣に望み、開発していかなければならない。日本は地熱などまだまだ開発途上だ。また、当然、初期の頃は料金も上がる。
 そして、エネルギーの面だけでなく、なんでも浅ましく過剰を望む社会のシステムも少し変えないと実現は難しいでしょう。それでも良いという社会でないと全ては進まない。
 私たちはできると思うし、そう信じたいです。

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