日本航空123便

事故調発表を元にした JAL123便飛行跡略図(ダウンロードはここを右クリックなのかな…)
 お盆が近づき暑くなってきました。この時期、心身ともに疲れると、日本航空123便の事故(*)をわらわらと思い出すことがあります。
 夜間、ヘリからの確認 or 撮影で墜落した場所は大体つかめたけれども、正しい位置を認識できなく錯綜する情報。明けてなお燻り続ける事故現場。その現場から、ヘリで吊るされた自衛隊員に抱えられ、奇跡的に生還した少女。後日メディアがその少女を追い回し、彼女の精神に更なる追い討ちをかけたこと。怒りと悲しみ、諦めが入り混じった彼女の不思議な表情。
 あの事故は酷かったな。写真は事故機です。
 リンク先のフラッシュ(正確には墜落した機のボイスレコーダー)に、途中で機長の
「これは駄目かもわからんね」
「どーんといこうや」
 という声が入っている。自分に言うでも副操縦士に言うでもなく。その恐怖は尋常ではなかったと思います。
 けれども、クルー(機長含む)たちは最後まで諦めることなく、機体を立て直そうと必死に努力する。機長にもなる人がその飛行経験からしても、確実に墜落することはわかっていたはずなんですよね。
 亡くなられた方々へのご冥福を、改めてお祈りします。
(*)
 1985年8月12日、羽田発大阪行日本航空123便は、離陸(午後6時12分)から12分後、相模湾上空で後部圧力隔壁を破損、それに伴い垂直尾翼と油圧系統も失い操縦不能となった。その後迷走し、同日午後6時56分28秒、御巣鷹山の尾根に墜落した(この5秒前に機体後部下部を木に接触させている)。死者520名、生存者4名という大惨事になった。
参考 >> 日本航空 123 便事故 御巣鷹山 悲劇の真相

タイトルとURLをコピーしました